過去の学校だより

令和3年度 帯封コラム




LINE通し仲間と交流・


                                             永 谷 格 夫(海吉分会)


◆スマホに挑戦して8か月がたった。きっかけは大阪に住む高校の同級生の誘い。昨年の春、彼からLINE(ライン)仲間に誘われたが、ガラケーを使っていた私は断るしかなかった。しばしの期間考えてみたが、後期高齢者にもなっており脳の老化、認知症予防のためにもスマホに挑戦しようと考え直した

◆スマホの扱いについて店の人から1時間余り説明を受けたが、私には何のことか全くのちんぷんかんぷんだった。とにかくLINE仲間に加えてもらった。今は私を含め仲間が28人となり、次第に輪が広がっている。すでにスマホを持っている妻や娘、孫に教えを請うことになるが、なかなかうまくいかない。それでも「習うより慣れろ」と言われるように、電話、ショートメール、LINEトークなどができるようになってきた。

◆毎日、朝夕に仲間のやり取りを拝見している。内容は多岐にわたり、軽妙、洒脱、冗談、」趣味、日常生活の様子など思わず苦笑したり、昔の思い出話に浸ったりすることもしばしばだ。

 LINEを通し、気の置けない仲間との交流を楽しむためにも、スマホ挑戦を続けたいと思っている。


(R3.12.22岡山東支部長)

―山陽新聞「ちまた」(R3.5.15)から転載―






われわれにとっての「新しい生活様式」は



◆今回のコロナ禍のような地球規模の災害や環境破壊に見舞われると、「お前たちは地球の歴史から見ると『新参者』なのに、余りに文明を求めて前へ前へと走り頑張りすぎたからではないか」との天の声が聞こえてきそうである。

 では一体、われわれは地球の歴史から見ると、どれほどの「新参者」なのか。歴史本と計算器を手元に置いて調べてみる。

◆地球の誕生は46億年前とされる、運動場に1億年を1mとする直線コースを引くと、地球誕生はスタートの46m先となる。新人類が現れた4万年前は0.4mm先。ちなみに聖徳太子の時代は、なんと0.02mmにも満たない地点となる。

 これでは、われわれを「新参者」だと言われても仕方なかろう。

◆さて、その「新参者」は今日まで生活の豊かさを求めて、「もっと早く、もっと前へ、もっと便利に、もっと快適に」と、がむしゃらに歩んできた。今のわれわれ自身が歩んできたわずか7〜80年間の日常の生活様式の変わり様を見ても、そのことは実感するところ。

◆現在、コロナ感染者は減少し状況は改善の方向にあるが、今後も高い警戒感が必要であることに変わりはない。これから先も、コロナ禍のもとでの「新しい生活様式」を模索することになるが、われわれ世代にとっての「新しい生活様式」とは。

 それは、少し不便なところがあっても多少は我慢して、あせらずに、ほどほどに、困ったときには一息ついて、ボチボチと。そして出来たらときに、わくわくしながらの生活の仕方ではないかと思ってしまうのである。


(R3.11.26岡山東支部事務局子)





国など関係なく活躍に拍手


                                               永 谷 格 夫(海吉分会)

◆先の東京五輪では、日本人選手の活躍に拍手を送り応援しました。そして、パラリンピックでは、国などに関係なく、個性輝く選手の活躍に拍手しました。

 五輪とパラリンピックで、私の応援の仕方に差異があったのは何だったのでしょう。私はパラリンピックの選手がハンディをものともせず、個々人の力、チーム力を発揮する素晴らしい活躍に拍手したのです。

◆選手の活躍は、何百、何千、いや何万倍もの努力をされた結果であると思います。私たちが努力、精進しているといっても、パラリンピック出場選手に比べれば、わずかなものではないでしょうか。他に誇れるものは何もない私ですが、まだまだ努力を重ねなければと教えられました。

◆感動をいただき、努力の大切さを示された選手の方々に、絶大な拍手を送り、共生社会のさらなる発展を願う一人です。

 選手の皆さん、ありがとうございました。


(R3.10.26岡山東支部長)

―山陽新聞「ちまた」(R3.9.10)から転載―




終戦記念日を迎え


                                              永谷 格夫(海吉分会)

◆暑い、熱い8月を迎えた。

 昭和20年(1945年)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏で終戦を迎えた。

 我が国の体制は大きく変わり、思えば古くの大化の改新を最初に、最直近はこの8月15日の終戦でしょう。これで日本は大きな変革を遂げた。

◆私にとっても8月は忘れられない月です。既に父を亡くしていた私たちにとり、父とも尊敬した長兄を病で8月1日に亡くしたのです。

 我が家の生活も大きく変わらざるを得なかったのです。残った弟妹、兄の幼い遺児たちとも助け合って暮らし、今日の平穏な生活を迎えています。

 振り返ればいろいろありましたが、終戦以来、昭和、平成、令和と三代で争い(戦争)のない恵まれた時代を生きてきた私たちは、この平穏な日本を、後世、子孫に引き継ぎたいものです。


(R3.8.24岡山東支部長)




主人・夫


◆最近、女性と話をしていると自分の配偶者のことを、これまで多く使われていた「主人」でなく、「夫」と呼ぶ女性が珍しくなくなった。「夫」に変わってきているのは、自分は何も「主人」に使えるメイドではないのだからと言う考えからと思われる。

 なるほど、納得である。

しかし、一方で、そんなのはただの呼び方であり、自分は別に「主人」のメイドだと考えているわけではないから、こだわらない人もおられるようだ。

◆最近、TVや雑誌の対談などで「連れ合い」「パートナー」、時に「配偶者」「彼」などと呼ぶ女性の声も届いてくるが、このときの対談者は、目の前の女性の配偶者のことをどう呼んだらいいのか、とまよってしまうのではないだろうか。

◆相手が「主人によろしくと言ってました〜」に対し、こちらが「こちらこそ、ご主人によろしく〜」は自然に出てくるが、「夫がよろしく言ってました〜」の女性に対して、こちらは「夫さんによろしく〜」は言いにくい。

 同じように「(お)連れ合いさんに〜」、「パートナーさんに〜」も。「配偶者さんに〜」はもっと言いづらいものである。

◆このことは「夫」「主人」に代わる表現が見つからないからと思われるが、ありがたいことに今のところ、こちらから「ご主人は〜」といても気にしない女性が多いようで、どうにかスルーしている。

◆言葉は時とともに変わっていくものとされるが、さてこの「主人」「夫」は今後どう定着するのだろうか。

 今しばらく時間がかかりそうである。


(R3.7.22岡山東支部事務局子)




なんだ坂


◆ウオーキングの効用は十分納得しているつもり。しかし、年々たいぎ(大儀)になってくる。ことあるごとに「きょうは雨だから〜」「雨が降りそうだから〜」「体がだるいから〜」「疲れているから〜」などと、その都度理屈をつけるのに苦労しない。とくに足腰に痛みであろうものなら、自信をもって休むことになる。

◆石川恭三(杏林大学教授、医師)に「なんだ坂、こんな坂」というエッセイがある。「近くの郵便局へ行くときの穏やかだが、ちょっと長い坂道や駅や病院の階段を上がる時は『よいしょ、こらしょ』ではなく、童謡『汽車ポッポ」』の節で『なんだ坂、こんな、なんだ坂、こんな坂』と口の中でつぶやいて歩く。すると、体の奥の方からじわじわと力が湧き上がってくるのが不思議である」と述べている。この歌は自分を鼓舞させる魔法のかけ声というわけである。

◆なるほどと、この手を使ってウオーキングと我が家を出発。いつもの坂道に来たので、よしここからは歌の力を借りて歩こうと。しかし、なんと、歌が出てこない。「なんだ坂、こんな坂」の言葉は出てきたが何の童謡だったか忘れてしまっている。それではと、やむなく「線路は続くよどこまでも」に合わせて口ずさんでみたが心臓に悪そう。

◆魔法のかけ声の効用もそう誰にでも授かるわけにはいかないようである。

なお、われわれ岡山人は面倒くさいことを「たいぎー」とか「たいぎい」と言っている。われわれ世代には気持ちのこもった、愛すべきいい言葉である。


(R3.6.30岡山東支部事務局子)




我が家のミカン


                                           永 谷 格 夫(海吉分会)

◆我が家の庭に1本の温州ミカンの木がある。30数年前に終の棲家を構えた頃に、鉢植えの幼木を庭に移したものである。成木になった頃から春を迎えると。小さな白い花をたくさん付けた。秋になって実らせると、幼い2人の孫の大好物となった。しかし。近年は結実する数は極端に減り、昨秋はついにわずか5個しか収穫できなかった。

花は多く付くのだが、私の施肥、選定の仕方が悪いのかと思ったりしている。今年も多くのつぼみが膨らみ始め、間もなく花が開くことだろう。

◆年々、結実が少なくなるの原因の一つに、自然受粉の環境が悪化したのではないかと?と素人なりに思っている。自然受粉は蜂やハエなどの昆虫がしてくれるのだが、思えば近年彼らの姿を眼にすることが極端に減った。

 以前は軒下にアシナガ蜂の巣が多く見られ、ハエなども飛びまわってミカンの花の蜜を吸っていたものである。また、庭のバベの木にスズメ蜂が巣を掛けたこともあったことを思い出す。

◆これらのことを考え合わせると、近年の急激な地球温暖化などについて、自然界の神々様が自然界への畏敬の念を忘れつつある私たち人間に対する警鐘か?と思ったりしている。


(R3.5.26岡山東支部長)





転ばないように


◆正月を過ぎた頃、県外の同級生から電話。賀状を失礼したのは、年末に居間の敷居で転んで大腿骨を骨折し、現在も入院していたからとのこと。コロナで家族との面会もできないようで、いつもの元気さが全くない。

◆統計によると、車椅子が必要になったり寝たきりになる原因の1位は脳卒中、2位が老衰、3位が骨折とのこと。ここで興味深いのは高齢者の転倒の多くは、何と住み慣れた自宅で起きているという点である。

◆佐江衆一(小説家)に母親の介護の様子を書いた一文がある。

 「母はボケないようにと毎日新聞を読み、体操をし、冬は日光浴を欠かさず、洗濯・掃除も自分でして、骨粗しょう症にならないようにと牛乳を飲んでいたが、87歳のとき自宅の庭の小さなくぼみにコロリと転んで右大腿骨を骨折し、入院手術をした。入院での生活はこれまでの日常とは違ったからであろう、しばらくして病室で妙なことを口走るようになった」と。

◆よくわかっているはずの自宅や庭でのわずかな段差につまづいての転倒が多い高齢者のの場合、単なる骨折にとどまらないで、その後の生活の仕方をも大きく変えてしまうことになりかねない。改めて要注意である。

◆岸信介元首相に長生きの秘訣「転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」の名言があるが、その3カ条のトップが「転ぶな」になっているのは、なるほどである。


(R3.4.22岡山東支部事務局子)




卒業ソング


◆3月。誰もが経験する卒業の月。人にはそれぞれ一人一人の青春時代があり、自分だけの思い出があるもの。

 ・昭和38年の「高校3年生」

<赤い夕日が校舎を染めて〜>と学生服姿の舟木一夫の冒頭の歌が流れてくると、たちまち時空が十代へ舞い戻る世代の方は多いはず。

◆戦前の高校進学率は2〜3割だったようで、この時代はまだ高校に行けなかった友も多いなか、詰め襟、金ボタンとともに、思春期の男女が手をとってフォークダンスをすることに胸躍らせたものだった。

◆その後、学校を舞台にした曲。

 ・「学生時代」 <蔦のからまるチャペルで祈りを捧げた日〜>S39年ペギー葉山

 ・「卒業写真」<悲しいことがあると開く皮の表紙 卒業写真の〜>S50年ユーミン

 ・「旅立ちの日に」<白い光の中に山なみは萌えて 遙かな空の果て〜」H24 合唱

 ・「さくら」<僕らはきっと待っている君とまた会える日々を>H2 森山直太朗

 そのほか「卒業」(斉藤由貴)、「贈る言葉」(海援隊)、「友」(ゆず)などが現在も「卒業ソング」として歌われ共感を呼んでいる。「卒業ソング」とはまさにその世代を刻印した映し鏡といえよう。

◆さて、令和3年の春の若者たちは、どんな歌を胸に旅立っていくのだろう。

 たとえコロナ禍で、今まで誰も経験したことのない別れのスタイルになったとしても、別れの心はいつの時代であっても変わることはないのだから。


(R3.3.23岡山東支部事務局子)


(注:ちなみに、今年はコロナ禍による授業時間確保のため岡山市立小学校の卒業式は23日に延期された。編集者)





凜として


◆厳しい寒さの中でキリリと咲く梅の花の姿に、古人は「凜」という言葉をあてた。何と魅力的な言葉だあろう。この言葉のもつ響きに、思わず背筋をただされる。

◆「凜とした立ち姿」「凜とした声」などの使い方から、女性の姿をイメージしやすいが、「りりしい姿」「力強い頼もしさ」などの使われ方から考えると、男性の生き方にもしっかり繋がっているに違いない。

◆しかし、「凜として生きる」は憧れでこそあれ、なかなかまねできる生き方ではないが、できたら頭の片隅のどこかにでも置いておかないと、つい安易な方向に流されてしまうのが我が心の常。

◆生き方というのは人の姿形に表れるといわれている。腹を出し、背中をまるめて歩くわが姿はどうみても「凜として」にはほど遠い。

 ならば、せめて、最近歳とともに多くなってきたなと自分でも感じる「愚痴と文句と頑固さ」をできるだけ控えることからか。

 しかし、このことこそ容易なことではないぞ。と、なると「凜として老いる」なんて夢のまた夢なりや。


(R3.2.27岡山東支部事務局子)





新 年 の ご 挨 拶


                                          岡山東支部

                                                支部長 永谷 格夫

明けましておめでとうございます。

 皆様にはお健やかに新年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。

 期待して迎えた令和2年でしたが、春先から新型コロナウイルスの襲来を受け日常生活が一変した年となりました。消毒、マスク、

ステイホーム、三密回避等々。

 私たち退公連の活動も、役員会の短時間開催や老健ホームの方との交流中止等大幅に多くの制約を受けました。こうした中でも精一杯頑張っていただき、会費、古切手の収集や、年金制度改革の国会要望のための署名集め、その署名簿の地元選出国会議員への手交など、厳しい環境の中でも可能な限り頑張れたと思います。これらはすべて皆様のご努力のおかげです。

 深く感謝申し上げます。

 本年も、コロナ禍が心配されますが、新型コロナに対応した新生活様式に適応した日常生活を過ごされ、ご健康で送日されますことを祈念申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。


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 神尾一郎(顧問)さんから、牧師ボム・ムーアヘッドのエッセイを紹介いただきました。

 これはアメリカのコメディアン、ジョージ・カーリンさんが最愛の奥さんを亡くされたときに、ムーアヘッド牧師の説教を引用して、「この時代に生きる私たちの矛盾」として友人に送ったメール文です。

 日本語訳者の佐々木圭一さんは、「初めて読んだときはあまりの感動に心が揺さぶられ、心がふるえ、しばらく動けませんでした」と述べています。

 私たちにとって本当に大切なことは何か、考えさせられるメッセージのようです