過去の学校だより

令和5年度 帯封コラム



年齢速度


◆NHK TVでチコちゃんが「大人になると1年があっという間に過ぎるのはなぜ」と問うていた。

 1年間は1年間であり、年齢によってその時間に差があるはずはないが、歳をとると確かに1年が早く思えるのは実感するところ(フランス、ジャネーの法則)。

◆その体感を数字で示したのが「年齢速度」。

  それによると、年齢と時速は同じで

  ・10歳の子どもは、時速10qで生きていて

・60歳ならば、時速60qで

  ・80歳の人は、時速80qで高速道路を走っているのと同じだという。

◆さて、チコちゃんが私たちに発信したかったのは「大人になると1年があっという間に過ぎるのは、トキメキやワクワクすることがなくなるから。だから、自分でワクワクする時間をつくろう」ということだった。

◆なるほど、70〜80qの高速で走っていては、周りの自然や休憩所で人と出会うこともなく、あっという間に通り過ぎていくことになる。一方、自分はこれまでこの土地で「見逃していたこと」があったのではないかと、速度を落としたり、時には高速を降りて、トキメキや夢中になれる時間を10分でも20分でも持つことは1日を充実した長い1日に繋がるようだ

◆間もなく新しい年。年齢速度はさらに、プラス1qとなって過ぎていく。


(R5.11.25岡山東支部事務局子)





コスモス・秋桜


◆野川の畔や路傍、垣根のすみなどで、風と戯れるようにそよそよと揺れるコスモス。

     「淡(うす)紅(べに)の秋(こす)桜(もす)が秋の日の

              何気ない陽(ひ)溜(だ)まりにゆれている

       此頃 涙脆(もろ)くなった母が

                     庭先でひとつ咳をする〜」

 ご存じ、山口百恵の「秋桜」(さだまさし作詞作曲)。

 結婚を目前に控えた娘が母を思う心情を歌った昭和52年のヒット曲。われわれ世代の中には、ちょうどその頃の自分とが重なる方もあろう。

◆さて、現在は「秋桜」という漢字を躊躇なく「コスモス」と読むが、40年前ばかり前までは「コスモス」とは読まなかったようだ。

 それは「コスモス」は外来種で、明治の初めにメキシコから日本に入ってきたときにつけられた和名が「秋桜」(あきざくら)。コスモスは秋に咲き、花弁の形が桜に似ているから名付けられたと思われる。

 だから、外来種である「コスモス」につけられた和名の「秋桜」を「コスモス」とは読まなかった。「秋桜」は「あきざくら」と読んだのである。

◆なのに、今日「秋桜」を「コスモス」と読むようになったのは?さだまさしが曲のタイトル「秋桜」に「こすもす」とルビを振って売り出し、大ヒットしてから定着したとのこと。(さだまさし自著「秋桜」)

◆今年も日本の秋に一層の色彩を添えて微笑んでくれている「コスモス」の花と「秋桜」の歌はよく似合う。


(R5.10.24岡山東支部事務局子)






木を見て森を・・


◆書道展で屏風や掛け軸に毛筆で書かれた作品の前に立つと、決まって「ああ、この文字が読めたらなあ〜」と嘆く。特にご縁のある方の作品の場合には、申し訳ない気持ちも加わってくる。書かれた文字がほとんど読めないからだ。

 そこで、「くずし字、変体仮名」の初心者向けの本を図書館で借りてきた。まさに「あいうえお」の「あ」からのスタートとなったが、そう簡単に読めるようになるはずはない。

◆先だって、ある書道展でのこと。屏風に書かれた和歌の中の一つの文字の読み方が分からず、近くで会のお世話をされていた女性に無遠慮にも尋ねてみた。

  「この文字は『久』(く)と似ていますが、多分『天』(て)だと想います」との明快な返事。

 さらに、「私の書道塾に外人さんが来ています。外人さんですから漢字も仮名もほと読めません。でも、彼は日本の書道が大好きです。多分筆の運び方やリズム、余白と空間などの面から日本の書に惹かれているようです」と。彼女はそう言い残すと、忙しそうに係の持ち場の方へ。

◆この一言は「あなたのように、仮名の一文字一文字の読み方にあまりこだわっていると、作品全体の面白さが見えないことがありますよ」という声だったようだ。

◆帰り「木を見て森を見ず」という古人の知恵に彼女の言葉が重なってきた。

 これからも仮名の読みの勉強は続けながらも、仮名や漢字の読み方に余りこだわらないで、少し離れたところから作品全体をリラックスして楽しみたいと思ったことである。

 今月6日から県展も始まった。芸術は一足早い秋を運んでくれている。


R5.9.24岡山東支部事務局子





おかげさまで



◆近頃は「おかげさまで」という言葉が余り聞かれなくなったように思えるのは年のせいかなあ。

・「おかげさまで、元気でやってます」

・「おかげさまで、孫は今年から幼稚園に行っています」

◆「おかげ」は広辞苑に「神仏の加護、人から受けた恩恵・力添え」とある。そのためであろうか、この「おかげ」に「さま」がつくと、一層支えてくれた人や、目には見えない何かに対する感謝の気持ちに、その人の謙虚さも加わって受けた方(ほう)は爽やかな気分となる。

◆英語ではThanks to you とかThank God と表現するようだ。日本語と違って何に対してのおかげかをはっきりさせるところは文化の違いか。

◆ともあれ、周囲の人々や目に見えない何かへの感謝の気持ちを伝えるこのわずか6文字の「おかげさまで」のひと言。いい言葉である。


R5.7.27岡山東支部事務局子




ほめ、ほめられる


◆われわれは人からひと言でもほめられると、嬉しくなってルンルンになることを日頃から実感している。

 たとえ、その一言がお世辞だとわかっていてもである。

◆教育心理学の用語に「ピグマリオン効果」というのがある。これは、生徒は教師から「よくできた。よくできた」と、たとえデタラメでもほめられると、そのうちその生徒は本当によくできるようになる、というローゼンタール(アメリカの教育心理学者・1964年)の有名な実証的な研究である。

 このほめ言葉の効用は相手が学生ならずとも、相手を元気にさせ、やる気にさせる魔法の言葉ともなるようである。

    <ほめ言葉の「さしすせそ」)

   「さ」 さすが!

   「し」 知らなかった!

   「す」 すごい!

   「せ」 センスあるね!

   「そ」 そうなんだ!

◆しかし、どうもわれわれというのは、このほめ言葉の効用を知りながらも、いざ口に出すとなると、出し惜しみしているのではないだろうか。わけても目の前にいる者に対して。

◆長い間一緒に生活していると、「そんなことは当たり前。当然なこと。何を今さら〜。言わなくてもわかっているはず」という気持ちが働くからであろうか。

◆外山滋比古(英文学者・評論家)は、「最高の友とは、何かにつけてほめてくれる友」との一文に続けて、「できることなら、家族の中にほめてくれる者がいれば人生の幸福」とまで述べている。

 家族の間での互いのほめ言葉が案外少ないのではとのメッセージのようである。


(R5.6.29岡山東支部事務局子)




ストリート ピアノ


◇NHKテレビ番組「駅ピアノ」「空港ピアノ」「街角ピアノ」。世界各地の鉄道駅、空港、街角に置かれた誰でも自由に弾けるピアノで、思い思いに演奏する人々を定点カメラで収録したドキュメンタリー。

◇弾く人は20〜60代が多いが10歳以下や80歳以上の人も。プロのピアニストもいれば学生、主婦、教師、会社員などと多彩。曲目もクラシックからポップス、映画、アニメ、自作のオリジナル曲など多様。リュック姿が多いのは旅行中や通勤途中に立ち寄ったからと思われる。

◇仙台空港(4/27放送)。29歳の女性ピアニスト。童謡「故郷(ふるさと)」をスローテンポで「うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川」と、一音一音を心に訴えかけるような表情いっぱいな演奏。その演奏中、TV画面下に次のテロップが流れた。

◇「震災があったのは仙台で大学の音楽科に通っていたとき。仲間と一緒に被災地を回った。この曲を弾くと涙を流す人がいた。流された家を思って泣く人。亡くなった大切な人を思って泣く人。ありがとうと感謝され、自分もできることがあると励まされた。これからもピアノの音色でいろいろな人生に寄り添いたい」と。

◇演奏後のインタビューでその女性は、「楽しいときもあれば悲しいときもあるし、人生の中で本当にピアノを弾いてきたので、私にとってピアノは生きることと同じようなことです」と。

 音楽は楽しさ美しさとともに、聴く人だけでなく演奏者自身にも、あすを生きる勇気と笑顔をもたせてくれるということを改めて感ずることとなった。

  「ストリートピアノ」は県下では岡山市(駅地下広場、RSK山陽放送)、倉敷市(新倉敷駅、倉敷アイビースクエアー)、玉野市(宇野駅)、総社市(クロスポイント)などに設置されている。


(R5.5.29岡山東支部事務局子)





衣・食・住


◆現在(いま)はまだ4月。街中で新しく社会人となったらしいスーツ姿の若者の出会うと、一人ひとりの表情からこれからの意気込みが伝わってきて爽やかである。

 そんなとき、ふと何十年も前のことが今もって思い出される。

◆卒業のお祝いにと叔父がグレーの背広を新調してくれた。その時の次のことば。

 「人間、社会人となって生活を立ててゆく上で欠かせないことに『衣・食・住』があるが、実はこの三つの言葉の順番には意味がある。社会人となって人から信頼を得るきっかけが、その時の服装によることは案外多い。これからは、何よりも『衣』の衣服をちゃんとすること。次の『食』の食物は貧しくても生きていける。『住』の住居は、ずっと、ずっと後でいい」と。

◆人間生きていくには、生命の源となる「食」がトップバッターにきてもよさそうなのに、「衣」がきていることには意味があることをそのとき知った。

 そういえば「服従」という言葉。

 人の気分というのは、とかく「服」に「従う」とは実感するところ

◆ひすい こたろう(作家、心理カウンセラー)は「心を変えたいなら、心以外を変えること。それが最速です。いい気分をつくってくれる一番簡単な方法は、服を替えることです」と述べている。

 一方で「くたびれた服は、着る人もくたびれさせる」(押田比呂実、スタイリスト)との厳しい警告には、はっとさせられる。

◆さて、この「衣・食・住」。需要が満たされると次は暮らしを豊かにするための「遊・体・美・知」と順治シフトしていくことになるとのこと。

 ああ、この歳になって今もって、あれが食べたい、これが食べたいと「食」あたりからシフトをあげられずウロウロしている我が身。「美・知」のステージまでには、まだまだほど遠いようである。

(R5.4.岡山東支部事務局子)




お悔やみの言葉


◆いざその場になると結構悩むものである。「お悔やみの言葉」である。

 お悔やみの言葉は「ご愁傷さまでございます」「お力落としのことでしょう」が一般的。最近多くなってきた遺族が長い間の介護で大変な思いをされたような場合には、「十分なお世話をなさいましたね」などのひと言を添えることが心くばりのようだ。

◆一方で、遺族の気持ちを考えないお悔やみの言葉で、残された家族を一層落ち込ませてしまったかつての苦い体験を思い出す。

 母親を亡くされた友を少しでも慰めたいと「何と悲しい〜」「何とおさみしい〜」「この前会ったときは、あんなに〜」などと、長々とくどく繰り返したお悔やみの言葉に、一層声高に泣かれた友の姿に今もって冷や汗が出てくるのである。

◆信州の児童合唱団で小澤征爾(指揮者)さんから指導を受けていた塩澤詩乃(中3)さん姉弟が、母を癌で亡くして悲しみにくれているときに小澤さんから届いた1通のFAXに救われたことがTVで紹介された。(NHKBS「知るしん」R5/3/11)

 そこには「あなたのお母様が亡くなられたことを知りました。君たちの悲しみは私には想像も出来ません。どうか力を合わせて頑張ってください。ベンキョーも頑張ってください。1998/3/2」と。

◆祖父江孝男(放送大学教授)さんは妻を若くして亡くした時の自分の体験から、「言われる側の立場に立ってみると、同じお悔やみでも心に残るものも少なくなく、それはいずれもアッサリしたもののように思われる」と。

 研究室でお茶を置きながら所員の「『先生、大変な1ヶ月間でしたね。でもこれからますます頑張ってください』はうれしかった。この言葉は今後も決して忘れないであろう。そして他の人へのお悔やみもこんなふうに言おうと私は考えている」と述べている。

 反省することしきりである。


(R5.3.26岡山東支部事務局子)






◆小さな蕾をつけた梅の切り枝をいただいた。これまで外庭の寒さに耐えてきたのが急に部屋の中に移ったからであろう、一気に蕾がふくらみ花弁が姿をみせて芳しい香りがあたりを包んだ。

◆現代の日本人にとって花といえば桜であろう。しかし、禅の世界においては花といえば梅か桃が代表と聞いたことがある。梅が生涯を通して見せる生きざまに、われわれ日本人は禅のこころを見たからであろうか。

◆20年以上も前の2月。軍人の父を小さいときに亡くされた方のお宅を訪ねた。廊下に面した庭にさほど背の高くない梅の木を見つけた。

 「寒さの中をしっかり咲いていますね」と声をかけた。「ええ。父は梅がとっても好きだったんですよ」と、おだやかな口調の中に凜とした声が届いた。

 きっと、軍人としての父の生涯と寒中に耐えて咲いている梅の姿が重なったのであろう。

◆梅は古く「花の兄」といわれるように、寒風に耐えて春になると一番早く香りよく咲き始める。その姿は清楚で気品があり強靱さも伝わってくる。

 こんなところに梅が日本人の生き方として尊重されたり、万葉集では植物の中で萩に次いで二番目に多く歌われ愛されてきたのであろう。

 今年の神崎梅園(東区神崎町2322、500本の梅)の見頃は2月中旬〜3月上旬とか。


(R5.2.28岡山東支部事務局子)





高齢者


◆高齢者医療、高齢者講習などと日常的に使われる「高齢者」は、一般的に65歳以上を指し、75歳以上は特に「後期高齢者」と言われているようだ。一方でこの世代を表す言葉には古くから「老人」「年寄り」「お年寄り」がある。

◆「年寄り」「老人」はどちらかというとネガティブな響きがあり、ましてや「年寄り」に「お」をつけて「お年寄り」と言われても大事にされる気づかいは感じるが、どうもすっきりしない。

 チラシに「シニア向け大特売」の文字は見るが、「お年寄り向け大特売」は見ない。「シニア」には先輩、上位、上官とかの意味がまつわっているからであろう。

◆友人から年賀状が届いた。

 「高貴高齢者になって久しいですが、なかなか光り輝いておりません」と添え書きがしてあった。

 「高貴高齢者」という文字から、いつまでも年齢を重ねて「光り輝く」「高く貴い」人でありたいとの願いが伝わってきて、爽やかな年明けとなった。

◆ほかに「シルバー」「好齢者」「新老人」「スーパー高齢者」などの言葉も。いずれもわれわれ世代への気づかいと激励がこもった言葉と思われる。

 しかし、待てよ。そう呼ばれると今度は学にプレッシャーがかかりそう。

 やはり「じいさん、ばあさん」がいいか。うーん。そうだよなあ。


(R5.1.31岡山東支部事務局子)