◆小林秀雄(文芸評論家)はモーツアルト40番との出会いを「モーツアルトの悲しみは疾走する。涙はついていけない」と。さらに「死ぬとはモーツアルトが聴けなくなることだ」とまで述べている。彼の生涯にとってモーツアルトとの出会いは余りにも大きかった。 われわれにもこれほどまでの出会いとは言えないとしても、それぞれの節目でいろいろな出会いがあったもの。 もし、そのときにそこでの違った出会いがあったら、今と違った自分になっていることは疑いのないところ。もちろん、このときの出会いは「人」に限ったことではない。 ◆曾野綾子(小説家)は「私の晩年」のなかで「その人の人生が豊かであったかどうかは、その人がどれだけこの世で出会ったかによって、はかれるように思います」と述べている。 なるほど、 「あの人との出会い」、「あの小説との〜」、あの絵との〜」、「あの音楽との〜」、「あの山川との〜」などと、はかりしれない「出会い」があって今の自分がある。 しかし、その「出会い」はこれまでで終わったわけではない。まだ、続く。 ◆自分にはこれまでの「出会い」で「見逃している出会い」があったのではないかという気持ちで、人と会ったり、聞いたり、見たり、調べたり、行ったり、食べたりすることで、今までにない新しい自分が現れてくるかも。 さあ、今年どんな新しい「であい」が待っているか。 (R4.12.26岡山東支部事務局子) |
夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か ・・・・・・・・・ 十五で姐やは嫁に行き・・・・・ お里の便りも絶えはてた ◆今は秋。秋の青空に最近少なくなったが赤とんぼはよく似合う。そんなとき自然と口ずさむのは「赤とんぼ」。後世に残したい叙情歌・童謡のアンケートで常にトップにあがるこの歌には、われわれに何かジーンとくるものが込められていて時代を超えて、今も心が揺さぶられるのであろう。 ◆作詞の三木露風(兵庫・龍野生まれ)は5歳の時に両親が離婚。母と生き別れとなり、祖父の元で姐やと呼ばれる幼い少女が守役となる。露風は姐やに背負われて(注意<追われて>ではない)いつも赤とんぼの群れを見ていた。その姐やはこの子に母性愛を抱きながらもお嫁に。姐やからの便りも送られなくなってしまった。露風の寂しさ、生母への思い・・・。 ◆この歌には露風の母は実際には出てこないが、母を思う露風の心に揺さぶられるのである。 「母を恋うる歌」とも言われるゆえんであろう。 (R4.11.26岡山東支部事務局子) |
◆山陽新聞(R4.8.20)に、小川洋子さん(岡山市森下町生まれ、作家)執筆による「刻々とそして永遠にーふるさと吉備」が、「岡山市中心部を流れる旭川。中国山地を源に、命を育みながら瀬戸内海に注ぐ」と説明がついた旭川の写真とともに大きく1ページにわたって掲載された。 「岡山での思い出には、いつも川が流れている」で始まるこのメッセージから旭川、高梁川を通してふるさと吉備へのあたたかい想いが伝わってくる。そして、「それでもやはり当たり前のように川は流れ、太陽は毎日沈んでは昇ってゆく」、の結びの言葉が胸に沁みるのは、川の流れを思うと世の中の移ろいや自分の歩んできた時間が重なってくるからであろうか。 ◆「ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも時代は過ぎて ああ 川の流れのようにとめどなく 空が黄昏れ(たそがれ)に 染まるだけ」 ご存じ、美空ひばりの「川の流れのように」。作詞は秋元 康。 ◆この曲にまつわるひばりのエピソードは多いが、それらの中に秋元に語った次の言葉がある。 「秋元さん、この曲いいよね。一滴の雨が木の根を伝って、せせらぎが小川になる。やがて大河になってゆっくりと海にたどり着く。人生っていうのも同じように真っ直ぐだったり曲がっていたり、流れが速かったり、遅かったり・・・本当に川の流れのようなものなのよ。でもね、最後はみんな海にそそいでいるのよ」。(「昭和歌謡」長田曉二 敬文社) ◆お二人の「川の流れ」は「流れに身を任せたらいい。与えられたことを一生懸命やる。ただそれだけ。大丈夫だよ。なんとかなるわよ」という私たちへの応援歌のように響くのである。 (R4.10.23岡山東支部事務局子) |
◆終活は人生最後のチャレンジ。生き生きとやりたいことをやろう。と決意すれば自分の内部が変わってくると思う。 そして、何かを残そう!料理、刺繍、話し方など、人はいろいろな特技を持っている。それを人に教えてあげよう。それを残すことは終活の第一歩だと思う。本人がいなくなっても生きた証がいろいろな形で残っていくことになる。 自分の残した種が根になり、茎になり、花が咲く。そして、実になって種が残って次の世代へ伝わっていく。体は消えても魂は残っていく。 ◆今、生きていることが不思議。 8月20日で68才になる。ガンを経験して、自分が今こうして生きているのが不思議。今の願いは「健康でいたい」というのが大前提。 見た目は余り気にしない。顔のしわ、これはしょうがないけど、できるだけ現状維持をと。今後も今日ぐらいのレベルを保ちたい。笑顔を絶やさなければ、遠くから見たら若く見える。でも若く見せようという下心はある。 1 食事には気をつけている。2s以上増えたら立ち止まって考える。医師から太り過ぎるのはガンのリスクが増えるよ、と言われている。できるだけ現状維持を! 2 運動が苦手。そこで縄跳び(縄を持たないエアー縄跳び)。3分くらいの音楽に合わせて跳ぶ。 3 歩くのが大好き。50周年で引退しようと考えていたが、今年その年になってみると、まだいけるのではと思うようになった。姉がよく言ってくれる。「やめない方が良いよ。やめたら一気に老化するするよ!年はただの数字だから」と。 人によって老け方が違う。18才の少年でも気力が無ければおじいさんのように見えるし、70才80才でも生き生きしている人は少年のように見える。自分の体と相談しながら、毎日を大事にする人はいつまでも若々しい。 4 「笑顔は無敵!」です。笑顔は無料。出し惜しみなく振りまいて。 5 「毎日が誕生日」新しい誕生日をお祝いするように、その日を迎えよう。 " Happy birthday to Me " 6 生きて、出会えてお祝いできることを感謝しつつ、やっていこうと思う。 (R4.9.25岡山東支部事務局子) |
◆「しづけき朝に音を立てて 白き蓮の花の咲きぬ」(石川啄木)の句に惹かれ、その神秘的な音を聞きたいと梅雨明けの東の空がしらみかける早朝に、後楽園に行った。20年も前のことである。 ◆だが、その日の空は明けてしまうまでに、出会った人から「聞こえた!」という歓声は耳に届いてこなかった。 そんなことがあって、曹源寺の蓮池の近くの知人に「咲くとき、本当に音がしますか。どんな音ですか」と一度尋ねてみようと思う時期もあったが、今日までそのままになっている。蓮の花言葉「清らかな心、神聖」につながるであろう蓮の音がポンであれ何であれ、そっとしておいた方が蓮への夢やロマンが広がるように思えたからだ。 ◆蓮の花は不思議な力をもっていて、仏さまを象徴していると聞く。 一昨年の厳しい冬の日に、曹源寺の沼地に入って枯れた蓮の枝やゴミなどの清掃を黙々とされている一人の男性に姿があった。 そのとき、ふと「あの姿は観音さま。蓮の功徳を受けられたからに違いない」と思った。 8月8日午後、曹源寺蓮池に寄った。つややかな大きな葉の間から伸びた長い花柄。その頂に白色、淡紅色の花と花が終わった花托が夏の厳しい日差しの中を、しっかりと立っていた。 曹源寺に蓮はよく似合う。 (R4.8.30岡山東支部事務局子) |
◆猛暑と熱中症警戒に気を取られている間に、今年の梅雨はいつの間にか過ぎていたようである。しかし、水をたたえた田んぼの風景は何十年も前とちっとも変わらないのは嬉しい。 それは、水をたたえた薄緑色の田んぼから蛙たちの合唱が届くと、決まって、わくわくしてくる思い出があるからである。 ◆中学のとき「古池や蛙飛び込む水の音」の句を国語の時間に習った帰り道、ところかまわず、得意げに友だちと一緒に大声でうたった後に大笑いしていたことである。大笑いするタイミングは、句の最後に「チャポン!」を付け加えた直後である。こんなことが知られると芭蕉大先生から大目玉をくらったに違いない。 ◆さて、最近この句はアメリカでも人気があることと共に、外国人に短い日本の詩の心を伝えることは大変なことだと知ることになった。 この句の英訳は50通り以上あるとのこと。英文字で読みにくいが2つを紹介。 *ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)訳 Old pond Frogs jumping in Sound of water (pond 池) *サイデンステッカー(日本文学者)訳 An old quiet pond a flog jumping in splash ……and silens again (quiet 静か splash 水しぶき) ◆ところで、この句を外国人に伝えることの難しさは、十七音や切れ字や季語のことだけではないらしい 。 この句を聞いた外国人からの第一声は「古池の蛙は1匹?複数匹?」だったり、句の解説を聞いた後、すぐ「水の音がして、で一体どうしたっていうの?あたりまえじゃないの」というクール(?)な感想が出るそうである。なるほどなあ。 自然に対する繊細な日本人の感性を中学生の教えるのも大変であるが、ましてや外国人に日本文化の心の粋を伝えることはなかなか容易なことではないことを今更ながら実感したことである。 (R4.7.24岡山東支部事務局子) |
◆現役時代「プリンセス メグ」の愛称で親しまれたバレーの栗原恵選手が、女子小学生を指導するTV番組があった。(OHK「グータッチ」R2.11.14) 休憩のとき、膝のケガで休んでいる子どもに次のように声をかけていた。「休む勇気がいるんだよ。私も現役のときに何度もケガをしたが、そんなとき、もっと勇気をもって休んでいたら、その後の生活が変わっていたかもしれないよ」と。 ◆われわれは小さいときから「決めた目標は困難があってもやり抜くもの。途中止めしたり、目標を変えることは恥」という空気の中で育てられた世代。今もって無理をしてしまい、あげくの果てにダウンして、周りに迷惑をかけることになる。 ◆先日先輩から「毎日の歩行目標を3千から2千歩にしなければならなくなりました」とのメール。年とか体調を考えて目標を下げ、自分の『分』を守ってウオーキングを楽しんでおられる姿が浮かんで来る。 ◆大よりも小 多よりも少 長よりも短 重よりも軽 広よりも峡 高よりも低 (山崎 武也) と、年々楽な方を選んで頑張る時期がやってきたようである。 ただし、その決断には禁煙や車の免許証返納などと同じように、相当な勇気が伴うことを忘れまい。 (R4.6.25岡山東支部事務局子) |
◆「きょう、曹源寺のしだれ桜を見に行きました」(3/25)とのメールが届いた。 長く閉ざされた冬を越えて春の訪れを告げる桜。いただいたメールからいっそう春を実感することとなった。 ◆「花あかり」「花筏(いかだ)」「零(こぼ)れ桜」「花霞(がすみ)」「桜雨」「桜流し」・・・と桜にまつわる言葉が次々と辞書に並んでいる。これら美しい桜ことばを聞いただけで、いにしえ人の風流な心に思いを馳せるのは、われわれ日本人のアイデンティティーか。 ◆さて、いつの頃からか桜に逢ったときの感じ方が年々違ってくるなと思うようになった。 かつては「今年の桜も見事だなあ」と咲きこぼれる桜にわくわくしていたが、どうも最近はもう一つの違った情感が重なってくるのである。 ◆映画やテレビでご存じ「剣客商売」(池波正太郎)で、老いを迎えた小兵衛が「これより先、何度桜花(はな)を見ることができるかのう・・・・」(「消えた女」)と嘆くシーン。この言葉は池波さん自身の思いを託したのであろうが、老いに向かう小兵衛のこの一言が妙に思い出されるようになったのである。 ◆しかし、われわれ世代はこの切実な感慨の一方で「来年もきっと逢いにくるぞ」「さあ、そのときはどんな姿を見せてくれるのか」と、来年の桜にしっかりと期待を寄せておくのは如何であろう。 ◆「さまざまなことを思い出す桜かな」と詠んだ芭蕉の句には、きっとそんな想いもこめられているに違いない。 (R4.4.24岡山東支部事務局子) |
◆老年期を迎えると、年々体力が衰えるのは自明の理でしょうか。私も加齢に加えてここ数年のコロナ禍と猛暑により、食欲不振、日常生活の変化などで急激な体力の衰えを感じていました。 ◆昨年9月9日、散歩の途中に足元がふらつき、どうにか帰りついた玄関先で三度倒れ込み、足に力が入らず起き上がれなくなりました。 間もなく妻が帰宅して、家に運び込んでくれました。身体を冷やした後、医者に行きましたが異常ないとのことで一安心しました。その後も寝床で立ち上がったときに転倒しましたが布団の上で事なきを得ました。 ◆そして、約五ヶ月後の今年1月29日の夕刻のことです。町内会役員会に近くの公会堂に出かけた際、道路脇に顔面から倒れ込んで足が立たずにいたところ、幸いにも近所のご婦人に発見され公会堂に走ってくださいました。早速、集まっていた役員の方が駆けつけて自宅に運んでいただきました。 一ヶ月余り経過した現在では、顔面等の傷も癒え骨折や大怪我もなく、散歩やスクワットに努めています。 今回の転倒の原因は、年末の猛暑で食欲不振による体力の衰え(特に足と膝の筋力の低下)と思っています。 ◆昨年転倒した時に、運動や食事等に気を付けておればと自省・自戒しているところです。 皆さん、どうか老年期、高齢期を迎えたら体力維持に努められ、健康で人生を楽しんでください。 R4.3.6記( 岡山東支部長) |
◆思いがけない人や久しぶりの人に出会ったときに、「近いうちに、イッパイいこう」と声をかけて分かれることが多い。コロナ禍で自粛を余儀なくされている昨今は、「コロナが落ち着いたらまた連絡するから〜」との一言を添えることになる しかし、実際に連絡することは少ない。次に会ってもまた同じ挨拶で分かれているようだ。 ◆「岡山のことわざ12ヶ月」(立石憲利編著、山陽新聞社)に「備前茶漬け」が紹介されている。思いがけなく出会った人に「やあ久しぶり。今度茶漬けでも食べに行こう」などと調子よく言うが、口ばかりで実行を伴わないという備前人の気質を表す言葉のようである。心当たりがあるだけに、どうもあまりうれしくない。 ◆「今度」と「お化け」はでたためしはないと言われる。しかし、われわれ世代の年齢になると「今度、今度」と言っているうちに、ついに機を逸してしまうことになりかねない。会いたい人とは、会っておくのがいいよ、との先輩のアドバイスは納得である。 ◆さて、今こうして文章をつくっている時、偶然にも備前の同級生から電話があって長話。そして、彼からのいつもの通りの「今度、イッパイやろう」の声にほっくり。 「備前茶漬け」というこの言葉。必ずしも備前人の口ばかりの気質をさすのではなく、「ゆっくり飲みながら話したいなあ。それまで元気でな」という友への心からのやさしさと祈りがこめられた備前人のいい言葉である。 ◆さあ、今年も一体、何人にこの言葉を発することになるか。とは申せ、できるだけ口先だけにならないようにと・・・。 (R4.2.27岡山東支部事務局子) |
◆哲学者になった気分に浸るというわけではないが、今の自分の命は一体どの位の人とのつながりがあって存在しているのかを考えてみる。 ◆「私」に両親の父・母がいて、その父・母に両親の父・母がいて、またその父・母にも・・・・ と、今までつながってきた自分の命。もし、そのつながりがどこかで何らかの理由で切れていたら、今の自分は存在していないはず。 ◆では、今の自分につながりのある過去の祖先の数は一体どの位だろうか。若い人に関数電卓なるものを使って計算してもらう。 ・10代前からは 2の10乗で1024人の祖先 ・20代前からは 2の20乗で104万8576人の祖先 ◆えっ、20代前というとたかが?〜500年前のこと。つまり、家康の時代から数えても100万人を超える人たちの気の遠くなるような命のつながりがあって、今の「私」が居ることとなる。(ちなみに 30代前になると10億7300万人を超える計算) ◆青年期に限らず、我々はときに「自分は、この世の中でたった一人」と、孤独を感じることがあるがとんでもないこと。今の自分はこれだけの人との絆があって生きているんだと考えると、「あなたは友だち、あなたも友だち、みんなが友だち」のメッセージが胸にストンと落ちるのである。 年の初めにあたり、20代〜30代前からの我が祖先たちのことに思いをはせるとともに、我が命の大切さを改めて思い起こすのは如何なりや。 (R4.1.29岡山東支部事務局子) |